[書評]上野千鶴子著『「私」探しゲーム―欲望私民社会論』 情けない日本のフェミニストの代表

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上野千鶴子-TidsukoUeno

上野千鶴子 – Wikipedia.

幾つかの書物に参考文献として取り上げられていたので、しぶしぶ手に取ってみた。
結果は無残である。

これが果たして学者の仕事と言えるだろうか。

こんな程度しか書けない人間が、東大に研究室を開いたり、フェミニズム学者の女王様として君臨するから、勘違いした遥洋子が東大まで学びに行ったり、フェミニズム という学問が、安全圏にいる、たかが高級おばちゃんの権利を声高々に訴える学問として、皆に煙たがれ、揶揄され、曲解されてしまうのである。

それに、これが記号論の仕事と言えるのであろうか。

もう少し、真摯にまでとは言わなくとも、真面目に取り組んでいただきたいものである。

こんな程度の学者をスター扱いするから、ますます真面目に真摯に学問に取り組んでいる学者が表舞台に出にくくなる。
または、だから、彼らは・・・・と揶揄されてしまうのである。

表層で戯れるとしても、今は見る影もない浅田彰の方が、80年代、彼が一世風靡した時代、彼には、もう少し芸があった。
フェミニズムとは、それまでの男性中心及び主体の歴史の捉え方を根底から見直そうとするダイナミズムに溢れた学問であり、様々な流派によって形成されている多様性も備えた学問でもある。

 

また、レポートにしても、花魁の国・日本と違い、海外の娼婦らは、利用する男性にもぼろ切れのような扱いを受け、同性にも社会からも同様の視線を送られているのが現実だ。
そんな彼女らが、おいそれと、どこからともなくやって来た学者先生に、自分達の胸の内を話したりはしない。





但し、向こうの社会学者らの組織内部の調査方法として「参与観察」というものがある。
簡単に述べると、ハリウッド映画に出てくるような潜入捜査官のようなものである。

映画内でも、そのような捜査官は、素性がばれると命の危険性が伴うものとして描かれているが、暴走族グループのヤンキーらに彼らと同じようなボロ布姿で潜入し、彼らの性向などを調べている社会学者らも、命まではと思うが、十分、危険な仕事である。

どのような調査手段を取ったかは僕は知らないのだが、どちらにしろ、よそ者に、そう簡単には、心を開いてくれそうにはない彼女らから、聞き取り調査を行 い、ボロぞうきんのような、いやこれは比喩であって、実際は、もっと手ひどい扱いを受けている彼女らの心は、それらの扱いによって主体性を喪失し、彼女ら 自身が、その娼婦という仕事を自ら好んで行っているのか、自分は望んでいないのか、自分で判断できないという難しい問いを我々に突きつけてくるレポートを 提出している本当のフェミニズム及びジェンダー学者と、こんな机上の上のみでこねくり回しも出来ない学者が日本を代表し、同じ国際会議等に出席していると いうのを想像するだけで、私は恥ずかしくて恥ずかしくてたまらないのである。

また、アジアにおいては、その買い手は、日本人だったりもするのだが、少年少女らもお金のため、性の捌け口として利用されていたりする。

少し話が逸れるが、臓器売買において、片方の腎臓を喪失したりしている少年少女の存在は、多くは、日本人が買い手のようです。
この辺りは、映画「闇の子供たち」に描かれていたりする。

監督の阪本順治は、一流の監督だが、作品に波が大きかったりするので、また未見であるため、作品の質は保証の限りではない。

とにかく、安全圏で自分達の権利だけを主張するのは、いい加減にして貰いたいです。

(追記)
遥洋子は、関西ローカルのTV界では、アシスタントとしては、機転が利いて有能でしたが、フェミニズムに関わってから干されてしまったようである。

 






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