森鴎外の全集を読み終えて~漱石、芥川龍之介との比較


 

夏目漱石と森鴎外との違い

 

僕が読んだ新潮社の全集は、ほとんどの森鴎外の代表作が掲載されている。
幾つか、ちくま文庫ではなく筑摩書房の単行本も含め比較した結果、そうしました。

僕が読んだのは、日本文学全集 第3巻、1971年発行となっているので、上に挙げてる図書とは異なるのですが、一応、Amazonで探す限り、ないので、こちらを挙げておきます。

 

森鴎外は、夏目漱石とよく並び称される。

が、漱石が明治時代のという、まだ江戸時代の名残がある時代に生きたにもかかわらず、[近代人の苦悩、近代的自我]をテーマに持ってきたにもかかわらず、
森鴎外の書く小説のほとんどが、歴史小説であった。
これは、僕にとって意外であった。
なぜなら、「舞姫」の印象が強かったからだ。

森鴎外に登場する主人公らは、「山椒大夫」「高瀬舟」に見るがごとく、社会的に恵まれず、不遇の生活を送っている。
または、「阿部一族」に代表されるように、理不尽な目に遭う。
僕は、あえて社会的弱者という安易な言葉を使わない。

軍医として官僚としてエリートであった森鴎外には、そういう不遇の人達の境遇に対する確かな目が存在した。
このことは、明治、江戸という時代の豊穣さな一面を示していると僕は思う。
丸山、大塚、内田といった岩波文化人にもそういう面があった。
が、薄っぺらな現代は、どうだろう??
成功者は、自らの成功体験とそのセレブさを見せびらかせるのみである。
全く、こんな薄っぺらな時代に生きるということは、誠につまらない。
アホらしい。バカバカしい。時々、死にたくなる。





見た目は全然違いますが、自分のメモ代わりを兼ねて、ウィキペディアと同じツールMediaWikiを使って、作家等の略歴をネット上に公開しています。

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森鴎外 – KI-Wiki

森鴎外とかも、まだまだ書き込みが足りないのですが、何らかの書籍を入手すれば、随時、書き込みを増やす予定です。

時々、見て下さい!!

 

芥川龍之介と森鴎外の歴史小説観の違い





森鴎外と芥川龍之介ともに、過去の日本の歴史的書物に題材を得ながら、その内容は、まるきっり違うと言ってもいいでしょう。

芥川の作品は、どこかで、村上龍が、「彼は、ある意味、現代作家だ。」みたいな発言をされてましたが、現代の純文学作家が意識するように、彼の描かれた作品からは、ある意味、現代人の内面にも相通じるテーマのような物が存在します。

一方、森鴎外は、有名な「阿部一族」に関しても淡々と彼の私情や思惑など、こちらに意識させず、客観的に描きます。
この辺が、人間の内面を大きなテーマとした近代作家との大きな違いでしょうか。

この辺は江戸時代の読み物であった戯作 – Wikipediaの伝統が引き継がれているのかなあと、僕は勝手に解釈しています。

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