森鴎外「高瀬舟」解題

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最初にお断りしておきます。
本記事は、森鴎外の『高瀬舟』の核心に触れています。
僕は、優れた文学なり映画、その他芸術は、例え、その結末を聞かされようと、自分が読んだり、観たりした時には、おそらく忘れているだろうし、その読み方、見方は、人それぞれで、その文学、映画の価値は全く減じないと思っています。

昨今、あらすじで読む世界文学とやら、1時間で解る日本文学とかの類いは、数多く出版されてますが、それは、一種の教養とはなるでしょうが、その文学を味わったことにはならず、人生の肥やしともならないと考えている一人です。

しかしながら、粗筋を気にされる方、ネタバレを恐れる方は、本記事を読まないことをお薦めします。
僕は、この記事は、これから教科書等で習う中学生あたりを想定して書きたいと思います。

今回、新潮社の森鴎外の全集を読んだ中で一番、僕が感銘を受けたのは、『高瀬舟』でした。

僕は、この『高瀬舟』において3つのテーマが存在すると感じましたが、『高瀬舟縁起』を読むと、そのうち2つは森鴎外自身が、この話の大元である翁草(おきなぐさ)を読んで感じた大きなものでした。

一つは財産という観念である。
二百文を財産として喜んだのが面白い。
今一つは死にかかっていて死なれずに苦しんでる人を、死なせて遣ると云う事である。

すでに、この時代に安楽死という考えが、医学社会にあり、陸軍軍医でもあった森鴎外は、その考え方を知っていたようです。

同じく『高瀬舟縁起』から

ここに病人があって死に瀕して苦しんでいる。
それを救う手段はない。

従来の道徳は苦しませて置けと命じている。
しかし、医学社会には、これを非とする論がある。
即ち死に瀕して苦しむものがあったら、楽に死なせて、其の苦を救って遣るが好いと云うものである。
これをユウタナジイという。

注)ユウタナジイ(仏) 極楽往生、安楽死

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明治時代に既に“安楽死”という概念があったのですねぇ。
これには少し驚かされました。

[解説]

舞台
高瀬舟
徳川時代、京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟へ大阪へ廻されていた。

主人公
喜助:やむにやまれぬ事情で罪人(つみびと)となった、食うのにも困難な貧困の人
羽田庄兵衛:喜助ら罪人を高瀬舟で大阪まで送り届ける役人





テーマ

  1. 財産と云うものの観念
  2. 安楽死
  3. 僕が考えるに、鴎外の一般庶民と権力の観念

今まで自分の居場所がなかったという喜助は、奉行所から貰った二〇〇文を、自分の財産だと言い、島でこのお金で何か始めようと幸せげに語ります。
それを聞き、庄兵衛は、心の中でこう呟きます。

しかし一転して我身の上を顧みれば、彼と我との間に果たしてどれ程の差があるか。

・・・大抵出納(すいとう)が合っている。
手一杯の生活である。
然るにそこに満足を覚えたことは殆ど無い。

蓄えがあっても、又其蓄えがもっと多かったらと思う。
・・・・・人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやら分からない。
それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのが此喜助だと、庄兵衛は気が附いた。

そう思った庄兵衛は

庄兵衛は今さらのように驚異の目を睜って(みはって)喜助を見た。
此の時庄兵衛は空を仰いでいる喜助の頭から毫光(ごうこう)がさすように思った。

毫光が差したというのは、ちょっとオーバーかも知れませんが、自分に出来ないことを軽々と行う人は尊敬の目で見るのは当然だと思います。
解説がないので、どこまで 翁草(おきなぐさ)に書かれていたことで、どこまで森鴎外の創作かは、判然としませんが、
自然な運びで巧みな語り口であると思います。
さすがは、森鴎外ですねぇ。

安楽死の箇所は簡便に
喜助から治る見込みのない弟が自殺しようとして上手くいかず、苦しんでいるのを やむを得ずあやめた話を詳しく聞いた庄兵衛は、こう考えます。

苦から救って遣ろうと思って命を絶った。
それが罪であろうか。

僕が考える第三のテーマ:鴎外の一般庶民と権力の観念、は、ここからです。

庄兵衛の心の中には、いろいろに考えて見た末に、自分より上のものの判断に任す外ないと云う念、オオトリエ*(権力)に従う外ないと云う念が生じた。

そうは思っても、庄兵衛はまだどこやらに腑に落ちぬものが残っているので、なんだかお奉行様に聞いて見たくてならなかった。

鴎外は、「阿部一族」(モバイル:阿部一族)を代表として、上の権力に理不尽な目にあわされた者を主人公に据えます。
山椒大夫」(モバイル:山椒大夫)にしても。
そして、「最後の一句」(モバイル:最後の一句)に見られる娘の「お上の事には間違は ございますまいから」という痛烈な権力批判のように、鴎外は官という立場にありながら、それも高い地位に、そういう庶民のしたたかさを知っており、愛情もあったのではなかろうか、と僕はそう考えるのです。

そして物語は、こう余韻と風流を残して閉じられるのであった。

次第に更けて行く朧夜(おぼろよ)に、沈黙の人二人を載せた高瀬舟、黒い水の面(おもて)をすべって行った。

Wiki、始めました。
森鴎外の簡単な略歴も載せています。
森鴎外 – KI-Wiki
今後、もっと充実させていくつもりなので、こちらも今後ともよろしくお願いします。

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