フクシマを考える:まずは、福島の人々へ思いを馳せよう。 それからでも、決して遅くない原発の是非を問うのは。平和ボケと言われても仕方の無い日本という国のかたち


 

はじめ、Google+に、投稿するつもりで、文があまりにも長すぎるのでTumblrの一つ、KI-Study:http://ki-study.tumblr.com/(以前は、Google+の投稿をツールを利用して、そのまま投稿していましたが、Tumblrの利用を本格化しようと、現在、3つのTumblrに、それぞれわけて利用し始めました。) に投稿しようと思ったのですが、これまた文が長すぎるのと、より広く共有した方がよいだろうという判断から、こちらにポストします。

本当は、現在、このWordPressを利用してマルチサイト化しているKI-Blog及びその子サイトは、少し深刻(簡単には、解決できない。)プログラム上のトラブルを抱えており、その対応のための情報収集、勉強に時間を費やさねばならず、記事を書いている暇はないのですが、どうしても書いておかねばならないと考え、判断し、記事にしておきます。

恐らく、福島及びその近隣の人々にとっては、二度と見たくない写真でしょうが、このKI-Academicには、Google翻訳も装備しており、このブログではありませんが、子サイトの一つには、アメリカ、カナダからのRSS登録者が存在し、日本人が書いたブログも密かに海外から注目されていると言われている時代となりました。
したがって、当時の写真を掲載させて貰います。

 

Fukushima Nuclear Accident 02

 

ヒバクシャ広島/長崎:’13冬/2 広瀬方人さん 福島に届ける「忘れないよ」- 毎日jp(毎日新聞).より、抜粋。

長崎市で11日、市民団体「福島と長崎をむすぶ会」が誕生した。

長崎平和推進協会継承部会の副部会長、広瀬方人(まさひと)さん(82)は呼びかけ人として、発会式に集まった市民約90人にこう語りかけた。

「長崎から福島に何ができるか。知恵を出し合っていきたい」

広瀬さんが被爆体験を話した約2カ月後、高校生95人から感想文が届いた。
「健康な子供を産めない体になっているかもしれない」。
75人が原発事故による放射線障害の問題に触れていた。

「福島」と言っても、広瀬さんは「ひとくくりにできない」と話す。
原発事故による放射線被害への考え方は、住む場所や立場などによって大きく異なっていた。
子供を連れて県外へ避難した人、それを批判する声。
被ばくについて「安全だ」と言った学者がいれば、その学者を告訴した人もいる−−。

今も福島の高校生や母親ら10人余りとメールや手紙の交流を続ける広瀬さんは、「寄り添い方」を巡って仲間の被爆者たちと何度も議論した。
その結果、「長崎は福島を忘れない。このメッセージを発信し続けることだ」と思い至った。

広瀬さんはこう話す。
「原爆を受けた後、情報は閉ざされ、放射線障害のことも分からなかった。あの時『あなたたちのことを忘れていないよ』というメッセージをもらっていたらどんなに心強かっただろう

広瀬さんの思いが実を結んだ「むすぶ会」の発会式には、南相馬市で避難生活を続ける福島県立小高工高3年、S・Kさん(新聞上では実名でしたが、ネットには、心が貧しい人達が、存在しているため、ティーン・エージャーということもあり、仮名とさせて貰いました。)を招いた。

「高校生平和大使」として昨年の長崎の平和祈念式典にも出席したS・Kさんは、避難生活や古里への愛情を語り、
「私たちにとって忘れられることが一番怖い。皆さんの力をお借りして福島の止まった時間を動かしていきたい」と訴えた。

全共闘を含め全ての日本の政治的運動が、一過性に終わってしまう。
それが、この国、日本という国のかたち。

(僕は、全共闘及びネット上でつまらぬ政治運動をしている全共闘ジュニアを、心から憎んでいます。
全共闘=新左翼、全共闘ジュニア=ネットウヨという捉え方は間違っています。
正しくは、全共闘=ねじれた国粋主義者おそらくは、○○モンスターと呼ばれる人達の正体の多くは、彼らではないかと考えています。
全共闘ジュニア=自身の恵まれない境遇及び甘やかされて育ったため、自己アイデンティティを確立できず、日本というクニに自己投影し、やっと自己防衛できるネットで仕入れただけの薄ペラな知識をおのれの強い自己顕示欲によって、単に発散しているだけの連中)

加藤周一氏は、以前、こういう意味の事を記しました。
「日本人は、生活第1主義で、”今”が一番、大事な民族性で未来のことを考えられない民族だ。」と。

フクシマの今を考慮に入れない反原発運動など無意味だ。 とこう僕は声を張り上げたい。

僕のソーシャルメディアの活動拠点であるGoogle+でも、すっかり原発、放射線に関する投稿は、無くなってしまいました。

平和な国・日本、平和ボケと言われても仕方の無い日本人。
それが、この国、日本という国のかたち。

危機管理及びリスク評価というのは、何も安全保障だけではない。
確かに、もしもの戦時体制時の法律を、かつて作成しようとしたことがあるが、それは、社民党及びその周辺の力によって、 「それは、戦争へ繋がる道だ。」と幼稚園児か小学生のようなロジックで、葬り去られた。
そのこと自体、僕は、全くおかしいと思っています。
なぜなら、アホな田原総一朗という元やらせのエロドキュメンタリスト(嘘だと思うなら、Wikipediaで検索したまえ。)が、想定するような、この衛星ネットワークが張りつめられた時代に、「日本に、密かに敵国が上陸」なんてバカな事はありえないが、もし、日本に敵意を持つ国又は団体があれば、あの震災時の緊急事態時が最も狙い目で、何らかのテロ行為が、日本で起きないなどという可能性はないとは言い切れないのだから、そういう事態に備えて法律を整備しておくことは、とても重要であると僕は、日本国の国民の一人として考えます。

ブログというのは、1つの記事で判断され、読まれなかったりする宿命にある。
だから、僕は、何度でも言う。
あの時、素早くトモダチ作戦を展開し、日本周辺の海を警備してくれたアメリカ合衆国政府及び軍、アメリカ国民に、僕は、とても感謝している。
このことは、イデオロギーがどうであろうと、あなたがどういう主義、思想であろうと、日本国民の一人として当たり前と考えねばならない。

それに、素早い対応で、緊急サイトを打ち立て、放射線生物学を一応、学んでいた僕でさえ、しばらく、どこから放射線の情報を得ればよいか、わからずにいる時、すでに放射線情報の入手先として、放射線医学総合研究所(放医研)のサイトをリンクしていたGoogleの緊急対応は、何度、素晴らしすぎると言っても、言葉が尽きない。

あの当時の政府も大混乱に陥っている時に、そういう冷静に素早い対応ができるといのは、何も単なる彼らのリアクションではない。
これは、前記の安全保障についても言える事だが、日常時において、緊急事態の対応のマニュアルが存在し、それを全社員に徹底し、何度も仮想訓練をしていなければ、決してできないことだ。

ただ、Google+において、展開しているチーフディレクターを含めたGoogleJapanのバカげた知的レベルの低さ丸出しの投稿を、何度も目にすると、
あれは、GoogleJapanによるものではなく、ほとんどの社員が、何らかの博士課程取得者(大学と同様、アメリカの博士課程を取得するというのは、並大抵なものではない。)である本社であるアメリカのGoogleの指令によるものではないかと、僕は勘ぐってしまう。

 

遺伝子

 

>被ばくについて「安全だ」と言った学者がいれば、その学者を告訴した人もいる−−。

全く反省の色を見せない日本原子力学会。
”原子村”にいた学者で、震災当時、放射線花粉説など聞いたことの全くない説を唱え、「安全だ。」と言い続けた学者が、その後、大学から罷免された話など、僕は聞いたことがない。

実験科学の分野にいた僕自身、科学及び科学者とは、結果責任という分野で、実際問題、実験データが揃わなければ、実験科学という分野においては、どんな面白そうな卓見な仮説も仮説のまま、終わり、多くの支持も興味も引かないのである。
なので、確かに理論科学という分野もあるだろうが、科学全体が、そういう結果責任を取らされてしまう厳しい分野と考えていた僕には、このことは、大いにショックで同じ科学という分野にいた者の一人として、とても恥ずかしくもあった。





それに放射線生物学を学んだ事もないのに、バカげた情報を、真実の情報かのように無責任にTwitterに流し続けた理論物理の連中と、それに群がる多くのバカどもには、頭を抱えるどころか、本当に自殺してしまおうかと考えた事もある。
その理論物理の大ボスらしき人には、教授連中も群がって、「そうだ。そうだ。」と言わん限りに、リツイートを繰り返した。

その大ボスに、喧嘩をふっかけ、誤情報の科学的根拠を問うてみたが、全く答えないのか、答えられないでいた。
アカウント名を覚えていれば、ここで曝したいぐらいだ。

物理の世界は、湯川博士、朝永博士らの量子物理学の分野では、その後も小柴博士が近年、ノーベル賞を受賞したように、優秀な人材が、集っているようですが。
それに、近年の素晴らしい成果をあげている様子の宇宙物理には、優秀な人材が集っているようです。

ただし、同じ地球科学の専門家であるらしい、ブログ界、ソーシャルメディアでは、それなりの影響力を与えているLifehacking.jp.の管理者・Masatake Hori は、僕が自分のWikiに掲載したように( Masatake Hori – KI-Wiki. )、単なる五流のエリート・バカのようであるが。

が、あとの物理界は、デスクの前で「あ~だ。こーだ。」と頭の体操をしているアカデミズムというシステムにしがみついている単なるクズのようだ。

そして、その日本が、原発・反原発に揺れていた1昨年の夏であったか、Twitter上で、広島大学、長崎大学、放射線医学総合研究所(放医研)のアカウントに、僕は、「何故、何らかの声明を出さない。君らは、日頃、何のための研究しているのか。」と毒づき、

そして、書籍では市民をよりよく啓蒙すると謳ったシリーズ本を出版している理科研(理化学研究所)
理科研(理化学研究所)と言えば、一応、日本の科学界の中枢部でもあるはずだが、
使えない無能なバカほど、自分が知識を持っている事に、大きなプライドを持ち、それをひけらかしたいらしい。
そういうバカは、大学及び大学院で多く見てきた。

こともあろうに、その理科研(理化学研究所)のメンバーは、専門家でも何でもない一市民の科学用語の誤用に、ご丁寧に一つ一つ訂正ツイートをしているのである。

そんなバカは、理科研(理化学研究所)の恥だと思いますが、僕は、ツイートで言ってやりました。
「自分の所の職員は、自分で管理しろ。」と。

結局、4者とも、なんら僕へのリアクションを見せないのである。

「より地位が高い者には、より大きな責任を。」(ノブレス・オブリージュ)が、通用しない国。
それが、この国、日本という国のかたち。

勿論、日本においては、科学者、技術者ら理系民族は、文系民族と比較すると、その大きな努力に相応しい社会的ステータスは得られていないようであるが・・・・・。

私が尊敬する政治学者・丸山眞男が、「日本は、無責任体制の国家だ。」と戦後のA級戦犯らの裁判の様子、彼ら当時の日本の中枢部にいた連中の発言等を引用しながら、そう述べていたはずだが、その時代から何ら変わってはいないのである。

>「健康な子供を産めない体になっているかもしれない」。

新聞報道によると、こう考える女性のティーンエイジャーや、その親御さんは、多いようです。

ある程度の科学的知識は必要だが、Wikipediaの近藤宗平 – Wikipedia.の項目を見てもらえればわかるように、微量放射線の人体及び生物への影響は、科学者の間では決着が付いていない。

ただ、彼ら近藤宗平らのグループが依拠する科学的根拠は、疫学的データ(簡単に説明してしまうと、世論調査のように、ある一定程度の人数を集団から抽出し、そこからデータをはじき出すもの。)であり、それらの多くは世論調査と違い、統計科学的に信頼うる人数の結果ではなかったらしく、その後、その多くは結果を翻されてしまっている。

そういう背景がありながら、この時期に、「微量放射線は、人体にいい可能性もある。福島の人達は、案外、免疫力が高まり、長生きするかも知れない。」のような発言を掲載し、出版してしまう出版社及び、その発言主の放射線分野と畑違いの物理の大学の教官の無責任には、呆れ果ててしまう。

西洋の『Freedom』という言葉と概念を日本語化する時、日本語の『自由』という言葉を当てはめる時、これまた私の尊敬する福沢諭吉であったか、
「それは、いかん。日本には、『自由』という言葉の意味に、「勝手気まま」という意味がすでに存在する。」と忠告を与えたのだが、

結果、現代日本においては、岩波文化人らによる懸命な啓蒙の努力にもかかわらず、そうなってしまったのだ。

何をするのも出版するのもTV放送するのも、そこで何を発言しようと放送コードに引っかかりさえしなければ、我々の自由。
市民が何をするのも勝手気まま。

それが、この国、日本という国のかたち。

そこには責任の自覚さえない。
20年後、30年後、この世に存在していない人間に何ら責任を問えない。

三宅久之という政治家へ近づき、懇意にして貰い、彼らから何らかのオフレコを貰うことをジャーナリズムだと勘違いしている日本の多くの政治記者の代表のような存在が、かつて、僕がTVを見ていた頃、
「年越し派遣村」が話題になっていた頃、その軽薄さゆえ「だったら、彼らの恵まれない境遇は、社会のせいだというのかね。」とお馬鹿発言をしていたが、

確かに求職のミスマッチも存在していたが、かつてこの国は、普通にそつなく働いていれば、普通(そこそこの)の生活が営まれており、
それに第一に、「人間とは社会的存在である。」ため、個人というのは、社会と影響を受け、社会との個人がせめぎ合って、個人が確立しているという社会学の初歩さえ、押さえていないのである。

「より地位が高い者には、より大きな責任を。」(ノブレス・オブリージュ)が、通用しない国。
それが、この国、日本という国のかたち。

党派がどうであろうと、震災直後、放射能測定値のみが取りざたされており、X線の例を出して、瞬間放射線値のみが大きな話題になっていた時期に、朝日新聞の科学記者が、こういう場合、問題となるのは、X線のような瞬間放射線値が問題ではなく、蓄積値が重要だとすっぱ抜いたのは、大きな力を持つ”原子力村”の学者が、当時、幅をきかせていた時期には、勇気もいっただろうし、
僕自身は、その年のジャーナリズム大賞となっても不思議ではないのだが、





アメリカと違って、まずは社員という恵まれた存在で、ジャーナリストらに優秀な人材が集らない国。
それが、この国、日本という国のかたち。

■ 微量放射線の人体への影響についての分子遺伝学を学んだ僕の考え

前記の物理学者の述べる免疫力とは、一般市民、栄養科の人達の使う免疫力という言葉の内容と何ら変わらず、
生命科学を学んだ者らが思い浮かべる細胞レベルの免疫という用語と全く違い、そもそも生命科学には、免疫力という用語すら存在しない。

それに、前出の近藤宗平著の「人は放射線になぜ弱いか 第3版―少しの放射線は心配無用」(講談社ブルーバックス)を、この機会だから読んでおこうかと手に取ってみたが、多くの他の講談社ブルーバックスを読んできた僕だが、とてもサイエンティストが書いたと思えないほど、読むに堪えないほどとても情緒的で読むのを諦めてしまった。

確かに、一夜漬けで分子遺伝学の片隅をを学んだらしい彼の言うように、遺伝子には、修復機能が存在し、ある一定程度の突然変異は、放射線により、起こらないシステムが存在する。
だが、この一定量というのが曲者で、東日本大震災後、安全な放射能測定値でもめたように、どこからという線引きは、現代科学においても不可能なのである。

しかしながら、90年代頃であったか、やっと日本の医療機関がX線写真であっても、なるたけ照射しない方が良いというWHO(世界保健機関)の考えを取り入れ、適応し出したように、
変異原物質、発ガン物質は、多くの料理に存在し、、または食後体内に生成するのもあり(その意味で癌を生活習慣病という位置付けは、正しいのである。)、そういう多くのリスクを抱えて生きている我々にとって、避けられるリスク(つまり、変異原物質、発ガン物質)は避けた方が良いのである。

一度、ごくサラッとだが、その事についてGoogle+内において投稿したものを記事化したものを、参照していただければ幸いです。

微量放射線について | KI-Academic.

 >「健康な子供を産めない体になっているかもしれない」。

問題をここに移そう。

生物は、細胞を一つの単位として確立し、その細胞には、精子、卵子のような生殖細胞と体を形作る体細胞とに分かれる。
この時期だから、不安をあおるかも知れないが、正確に言ってしまおう。
一般に、体細胞よりも生殖細胞、そして健康男子であれば、毎日、無数に生成される精子よりも、卵子の方が、一般に、放射線への感受性が強いです。

ただ、生体内での分子レベルのふるまいを学んできた僕には、これ以上は、答えられないのである。

『低線量被曝のモラル』(Amazon)において、児玉龍彦氏が語ったされる「遺伝子のどの部位に放射線が照射されるかが、問題だ。」(検証するには、不十分だが、書評で知ったのは、この部分のみだ。)という発言は、遺伝子レベルでは正解だが、とても統計学を駆使する疫学を学んだ医学部出身とは思えない発言だ。

前述のように、避けられるリスクは避けた方が良い。
ただし、付け加えておこう。
実際問題、卵子に照射された放射線の影響は、僕には、未知数だが、僕が考える通常、20年後、30年後、福島原発近郊及びその他、放射線測定値の高い地域で、福島原発事故の影響による発ガンのリスクは、日本国民の発ガンリスクを、0.0何%もしくは、0.00何%かそれ以下の桁数、引き上げるだけではないかと考えます。
こういう場合、通例、有能な科学者らは、具体的に数字に表わさず、「ごくわずかだが引き上げるだろう。」と述べるにとどまるのであるが、
何故か?
それは、その値は誰にとっても未知数であり、20年後、30年後もしくは50年後にならねば検証不可能だからだ。
あえて数値にしてみた。

■ 最後に

Great Hanshin earthquake     Great Hanshin earthquake 02  Great Hanshin earthquake 03

これらは、阪神大震災(Great Hanshin earthquake)当時の写真だ。

神戸近郊に住む僕の家も大きく揺れ、仏壇が倒れそうになりました。
が、僕らは、何十人かが亡くなったとしか通勤途上で考えてましたが、昼間の高速道路が無残にも倒れたTV画面を言葉を失ったように見つめ、事の深刻さを理解しだしたのです。

そして、その後、僕は、中学生時代から映画等で楽しんだ神戸の繁華街・三ノ宮を訪れ、ビルが無残にも崩れ落ち、ゴジラが暴れた後のように、上階が吹き飛んでいる高層ビルを見、いい知れぬショックを受けてしまいました。

僕は、徹夜で原発事故時の放射線防護の緊急対応を、科学者の目でネットからの情報を確かめつつ、記事内でその情報を検証した記事(その記事は、信頼性を持たせるために、赤裸々に自分の履歴の詳細を掲載しており、その後のmixiの原発コミュで情報発信していたが、そんな僕らを嘲笑の対象としてしかみられなく、バカな連中がお祭り騒ぎをしているの危機感を覚え、削除致しました。)を書いた翌朝、YouTubeで津波で家が流される映像を見、「なんで?なんで?この国で?」という悔しいのか自分でも気持ちがわからないまま、号泣してしまったのであるが、
その事を仲間内で話すと「えっ、東北に親戚でもいるの?」と怪訝そうな顔で尋ねられ、皆は、不思議な顔をこちらに向けるだけでした。

その事を、ある年長の神戸市在住の人に、「そういう僕って、少数派なのでしょうか。」と話したところ、
その教養豊かな年長の方の説明に納得しました。

それは、こういう内容でした。
「神戸市と一口に言っても、全国の方が想像する異人館周辺だけではなく、とてつもないくらい広い面積です。
そこには、深刻な被害を受けた地域、全くといってよいほど被害を受けなかった地域が混在します。
又、直接、その目で被害を見た者とそうではない者。
そして、その被害を直接的に受けた者と、例えば、野戦病院と化した人々の混雑する中で働くといった、あるいは全国から駆けつけてくれたボランティアの皆さんのように、間接的に関係した者とそうでない者の間には、あの当時の震災の受け止め方が全く違う。」
と、自身の経験から語ってくれたのです。

僕自身は、その後、阪神大震災当時、四六時中、ご活躍され、TVにも何度も登場し、震災時の被害の特徴を、新しい概念で論文で提唱し、病棟では、いつもユーモアを決して忘れず、診療所から病院へとチャリンコで駈けていた、僕が実人生で出会った尊敬する今のところ、2人のうち1人である院長先生のもとで働く事が出来ました。

人の想像力は、無限であるという。
しかしながら、皮膚感覚でそれを体験した者とそうでない者(ただ、TVで見ただけとか。)の間の意識には大きな落差が存在します。

そういう意味では、戦争を体験した世代が、この日本に存在しなくなった状況を思い浮かべるだけで、とても怖い思いです。

prayed people at 1.17,2012

この画像は、今年の1月17日(奇しくも僕の誕生日でもある。)の慰霊祭の様子である。

僕自身は、ソーシャルメディアという存在は、世界を大きく変え、その可能性に賭けており、
TV、新聞、週刊誌というマス・メディアは、早くくたばって欲しいと考える一人ですが、真摯に向き合い、それを伝え、僕にこの記事をどうしても書いておかねばと駆り立てたメディアが、まだ存在します。
そのリンクの幾つかを紹介し、この長い記事に終止符を打ちたいと思います。





忘れないうちに書いておくが、
無責任な発言を繰り返す物理学者も最悪ならば、日本が、こういう状況になっているのに沈黙し続ける本当の放射線生物学の連中は、もっと最悪です。

原発に対する僕の意見はありますが、今日は、沈黙を守る事にします。
また、いつかは書かねばと思いながら、震災直後は、敢えて語らずじまいの僕の今後、起こるであろう東電という資本主義社会の中の超パワフル独占企業を相手にした裁判のリアルな現実においても、又次回にの機に譲ります。

まずは、福島の人々へ思いを馳せよう。

それからでも、決して遅くない原発の是非を問うのは。

 

阪神大震災18年:ゆっくり、立ち上がれ 二つの大震災、遺族ら悲しみ共有- 毎日jp(毎日新聞)  http://j.mp/10TeSU5

阪神大震災18年:被災地、悲しみ共有 東北の「希望の灯り」持ち寄り- 毎日jp(毎日新聞)  http://j.mp/SENcxE

阪神大震災18年:岩手、福島の被災者が追悼行事で交流- 毎日jp(毎日新聞) http://j.mp/10Tf99E

阪神大震災18年:つらい経験糧に 弱者に寄り添う- 毎日jp(毎日新聞)http://j.mp/WvlMIw

 

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