[ 内容紹介と考察 ] 『いかにして民主主義は失われていくのか』〜新自由主義合理性が、民主主義をシロアリのように蝕む。〜


 

何のきっかけにそうしたのか、忘れてしまったのですが、ある日、ふと気がつくと、欲しいものリストに本書があり、キャッチーで興味をそそるタイトルであるので、購入してみた。

読んでみて、非常に興味をそそる、また、今日的な内容であったのであるが、結構、読むのに難儀した。

いかにして民主主義は失われていくのか――新自由主義の見えざる攻撃

内容(「BOOK」データベースより)

いまや新自由主義は、民主主義を内側から破壊している。
新自由主義は政治と市場の区別を取り払っただけでなく、あらゆる人間活動を経済の言葉に置き換えた。
主体は人的資本に、交換は競争に、公共は格付けに、だが、そこで目指されているのは経済合理性ではない。
新自由主義は、経済の見かけをもちながら、統治理性として機能しているのだ。
その矛盾がもっとも顕著に現れるのが大学教育である。
学生を人的資本とし、知識を市場価値で評価し、格付けに駆り立てられるとき、大学は階級流動の場であることをやめるだろう。

民主主義は黙っていても維持できるものではない。
民主主義を支える理念、民主主義を保障する制度、民主主義を育む文化はいかにして失われていくのか。

新自由主義が民主主義の言葉をつくりかえることによって、民主主義そのものを解体していく過程を明らかにする。

著者について

ウェンディ・ブラウン(Wendy Brown)

アメリカの政治哲学者。
現在、カリフォルニア大学バークレー校政治学教授。
邦訳された著書に『寛容の帝国』(向山恭一訳、法政大学出版局、2010年)がある。

中井亜佐子(なかい・あさこ)

一橋大学教授。専攻は英文学、批評理論。
著書に『他者の自伝』。
共訳書にG・C・スピヴァク『スピヴァク、日本で語る』、ニコラス・ロイル『デリダと文学』、ポール・ビュール『革命の芸術家』。

目次

序 デモスの崩壊

第1部 新自由主義的理性と政治的生
第1章 民主主義の崩壊 新自由主義が国家と主体をつくりなおす
第2章 フーコーの『生政治の誕生』 新自由主義の政治的合理性の見取り図
第3章 フーコー再訪 ホモ・ポリティクスとホモ・エコノミクス

第2部 新自由主義的理性を散種する
第4章 政治的合理性とガバナンス
第5章 法と法的理性
第6章 人的資本を教育する

終章 剥き出しの民主主義が失われ、自由が犠牲へと反転する

内容紹介

キャッチーなタイトルで重要な内容にも関わらず、読みにくい。

現状、大変重要な内容で読書欲をそそるのではあるが、文章の単語はともかく、1文の意味することが解りづらく、例えもなく、文章と文章から、ロジックを読み取るのは、非常に苦労しました。

難解と言われるフーコーに関する記述の方が、現代思想に少し親しんでいるからか、まだわかりやすかったです。





 

以下の内容と文章は、僕が本からノートしたものから、僕の言葉を補って、本書の伝えようとしたことを記述しています。

 

民主主義の空洞化、骨抜き

新自由主義合理性は、公共という概念を持たない。そして、公共の利益という観点も持たない。
全ては、効率性、費用対効果などの観点から語られる。

新自由主義的理性により、民主主義の政治的なるものが変質され、国家が作り直され、民主主義上の政治的主体を作り変えてしまい、市民はホモ・エコノミクス(経済的存在)としてのみ生きるように従属させられる。

人は、自己啓発本を読み、資格を取り、自己投資を自分の裁量で行い、己の市場価値を高め、自分自身を人的資本として、消費財のように労働市場へ投入して行く存在として堕とされてしまう。

そうした行為により、社会的連帯までも破壊されしまい、「人民が共同で自己統治する」という民主主義の理念そのものが破壊されてしまうという。

あらゆる領域における非市場産業の市場化、経済化

国家において、政策は、企業をモデルにし、ガバナンスなどの単語を用い、あらゆる公共事業を民営化して行き、政治的なるものの経済への奉仕させられる。
全ての政策が経済成長、競争力に貢献できるかという観点で語られる。

自由主義は、市場を前提とするが、新自由主義においては、市場のために政治が存在し、国家が、市場のために統治する事を求める。
そして、国家の正当性は、経済成長によって測られる。

政治領域の経済化

政治的理念が、新自由主義的理性により、その内容が書き換えられて行く。

市民は、民主主義的理念の構成員ではなく、投資家、消費者として語られて行く。

そして、新自由主義的理性が、あらゆる領域の唯一の基準となる。

学校教育への新自由主義の影響

著者によれば、かつては、大学で教養を学ぶ事により、民主主義の成員となるキップを得ており、大衆が教養を身につけることは、歴史上、民主主義の一大事件であったという。

市場合理性により、教育が市場価値により測られ、国家は、教養など効率性の悪いモノには投資せず、学生は、未来の職業への投資として学ぶ。
学び、教育、知識などが、経済への貢献においてのみ評価される。

現在、日本のみならずアメリカでも、大学の学費が高騰しているという。

ジェンダー的従属化

新自由主義により民営化される福祉分野のケア労働の多くは、女性の無償の労働に委託されます。





いわば、福祉予算の削減の号令の下、新自由主義による女性の搾取が行われていることになる。

新自由主義による、より小さい単位への責任の丸投げ

新自由主義的理性により、本来、国家が担うべき規模の大きな問題を、NPO法人、地方自治体など、小さくて弱い単位へ移譲させ、担うべき責任を押しつける。

実際、新聞等で一般人が見る限りにおいては、それは、地方分権の流れと捉えればいいのか、それとも、本来抱えられないような内容を押し付けられているのかは、わかりづらい。

しかしながら、不況の責任を自己責任の名で個人に押し付けられている現状は、明らかにおかしい。
責任とは本人が自覚すべきものであり、国会議員らは非難はされても、責任を押し付けられることは、ほぼ無い中、一般の個人を多数で非難し、否応なしに責任を押し付けられるのは、責任という概念上の形式においてもおかしいですし、そういう風潮は、やはり、弱肉強食の市場原理主義によるものと考えられる。

また、報道によれば、相談業務を担う職業人が、抱えきれないほどの相談者を抱え、正規職員でもなく、低賃金など劣悪な労働環境の中、働かざるを得ないのは、明らかに、正常な権力移譲とは言えまい。

著者の結論

結論として、著者は、新自由主義的合理性により空洞化された民主主義を再生するのは、教養教育が空洞化された現在、絶望的であるという。

僕なりの考察

新自由主義合理性に浸食された愚かな人々

一頃、ネットで「LGBTは生産性がない」と発言した国会議員が話題になっていたが、人間を、子供を産むという行為を生産性という言葉を使い、そういう観点でしか見れないのは、明らかに新自由主義という時代の流行に思考を犯された貧しい人間であり、可哀想で愚かな人間であると思う。

相模原障害者施設殺傷事件の加害者の犯行動機である「意思の疎通が取れないような重い障害者は、安楽死させたほうが良い。彼らは人々を不幸にするだけだから」という人間の見方も、ヒューマンなものではとてもなく、時代を支配する、効率性や生産性を重く見る経済思想、新自由主義的理性によりもたらされたのであろう。

本書の著者は、本の中で何度か、新自由主義合理性が、あらゆる領域を経済化すると述べるが、その人の人格の隅々まで支配し、殺人までをも実行させる、新自由主義的理性の浸食性に、ゾッとさせられるものがある。

あらゆる領域へ浸食する新自由主義的理性

通例、”天のみぞ。知る。”というような「その人の寿命」や「健康」に関しても、新自由主義合理性は、支配しようとする。

例え、日々、健康に気をつけていても早死にする人はいるし、不摂生でも長生きする人はいる。
そういう領域においても、人はある人の弱点をつき、もし、もっとこうしていたら病気にならずに済み、その病気の治療に掛かる医療費のことを大声で言い立てる。

新自由主義に毒された人達の一つの特徴は、税金を多様な私達が支払ったお金ではなく、まるで、自分が支払ったお金のように語ることである。

フーコーの生権力とも関わってくるが、医療・福祉の予算が膨れあがるという恫喝の下、我々は、自身の健康管理を強制させられる。
つまり、医療・福祉の管理下の下、生かされるのである。

これらの特徴は、医療・福祉予算というお金に換算される中、人間の行為が経済的に推し量られるのである。

自己責任論への影響

現在のコロナ禍の緊急事態宣言の下、日々の暮らしにも苦労し、所持金何十円で支援するNPO法人に辿り着く人達が報道されている。
「生活保護を受けたくない理由」のアンケート結果には、「家族に連絡される。」が1位らしいが、直接こういう人達に取材した中で、「生活保護を受けたくない理由」が自己責任論の社会の風潮の影響も少なくないという。

別の機会に論じたいが、経済学の祖アダム・スミスは、何も人間の利己心のみならず、人間の共感力についても同時に述べている。

こういう誰しもが、同じ条件で公平に市場で競争している訳でもないのに、自由競争という前提の下、自己責任論が大きく叫ばれるのは、著者の述べる、労働者の一人一人が、自己投資の下、自分自身をすり減らし、人的資本として、消費財のように労働市場へ投入しなければならない、そういう労働者の置かれている環境のきつさから、他人の弱点を殊更目に付くような状況があるのではないかとも思う。

まとめ





自由主義が公共的なるものを破壊することにより、これだけもの大きな影響を及ぼすことを述べられた本書であるが、ほかに類書は存在しないようである。

できうるなら、新書等、もっと手軽に読める本で、こういう事が論じられ、新自由主義が及ぼす事の是非をもっと多くの人達に知ってもらいたい。

佐伯啓思氏の『経済学の思考法 稀少性の経済から過剰性の経済へ (講談社学術文庫)』などを読んで解った事だが、結局、新自由主義による改革は、一部の富裕層をさらに富ませただけで、そこからおこぼれが生じるというトリクルダウン理論は機能せず、アメリカにおいても日本においても、労働者の賃金は上昇せず、失敗に終わったと思う。

2021/02/05現在、医療逼迫が叫ばれているが、結局、医療費削減など効率性重視という観点から、政策を遂行し、医療界は、平常ならなんとかなるが、緊急事態には対応できないという、あそびの無さ、余裕の無さが、今日の事態を生んでいると思う。

 

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