随分長いこと、積ん読本に詰まれていたが、ふとしたキッカケで読んでみた。
それまでの社会学なんかの本では解りづらかったことが、理解できたように思う。
本書の基調は、リオタールの『ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書 言語の政治)』の社会主義などの大きな物語の終焉以降の現代社会の分析にある。
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
気鋭の批評家による画期的な現代日本文化論! オタク系文化のいまの担い手は1980年前後生まれ第三世代。
物語消費からデータベース消費へ。「動物化」したオタクが文化状況を劇的に変える。
内容(「BOOK」データベースより)
オタクたちの消費行動の変化が社会に与える大きな影響とは?
気鋭の批評家が鋭く論じる画期的な現代日本文化論。
いま、日本文化の現状についてまじめに考えようとするなら、オタク系文化の検討は避けて通ることができない。コミック、アニメ、ゲームなどオタクたちの消費行動の変化から現代日本文化を読みとってゆく。
著者について
■東浩紀(あずまひろき)
1971年生まれ。東京大学大学院総合研究科修了。批評家。
専攻は哲学および表象文化論。
著書に『存在論的、郵便的』――新潮社、第21回サントリー学芸賞受賞――『郵便的不安たち』『不過視なものの世界』――ともに朝日新聞社――などがある。
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
読後感想
見田宗介、大澤真幸ら、気鋭の社会学者の言う理想の時代、虚構の時代という枠組みは、よく理解できる。
だが、オウム事件や阪神大震災以降の大澤真幸の言う、不可能性の時代というのは、非常に、解りづらい。
その点、この東浩紀の言う、オタク社会から切り取った動物化という概念は、大澤の持つ熟慮や深みには欠けるが、非常にわかりやすい。
久々に、読書の醍醐味を、少し味わった。
古い世代に向かって語ると、この東のデータベース、シュミクラールという議論は、丸山真男の「日本の思想」のササラ文化、たこつぼ文化に相通ずると感じた。
東浩紀の言う内容を簡単に説明すると、オタクの創作物からの二次創作に見られるように、現代社会は、元となるデーターベースから、A要素、B要素、もしくは、A要素、C要素を取り出し、ヒップホップのように、いわば編集の力によって、新たな物語を紡ぎ出しているというのだ。
問題は、人間は、やはり、物語を必要とするということだ。
時代は、どう進むかだ。
大きな物語が終焉後、人々が、民主主義や政治など大文字を語り出したのには、関連性があるのであろうか?
残念ながら、90年代にTVを賑わした、この本に出てくる多重人格は、現在の心理療法の世界では、眉唾ものであり、本気には、取り上げられていない。
乖離性障害というのは存在するが。
あのTVの世界の多重人格とされた人々は、無意識的にか、誰もが赤ちゃん、お母さんとわかるものを演じ、TVを見ている者は、それを通して、わかりやすい形で多重人格という物語を了解し、多重人格という物語を紡ぎ出したに過ぎないように思う。
大きな物語は、消滅したが、人々は、男とは○○、政治家とは○○というステロタイプという無数の小さな物語を抱えている。
人間の脳は、単なる事実の羅列よりも、ストーリーとして捉えた方が、記憶に定着しやすく、理解が進むのである。
ここには、人間の脳の機能が関係している。
人は生きる上で自分の生きている意味を感じさせる物語が必要とする生き物であると思う。
そのために、太古から神話を形作ったのであろう。
続編を期待して読むことにしよう。