パブーで電子書籍「放射線が人体(生物)へ与える影響(仮)」を執筆中


 

今年の秋は、とても過ごしやすく、気持ちがいいですね。
夏場の初めの頃は、杓子定規にどこもかしこも設定温度28度なんてにしてるから、どこへ行っても涼めやしない。
正直、今年の夏は、昨年ほど異常な暑さでなかったため、大きな影響はなかったが、毎年これだと、とても辛いです。
に、少し真面目な話を加えると、はっきり言って、こういう状態が毎年続くと、企業の経済活動に大きく影響し、ほんとに海外移転してしまうかも知れない。
別記事で詳しく述べてもいいが、前々から時々言われていた日本の企業が拠点そのものを海外へ移すなんて、経済界の脅しじゃないかと思っていたのですが、こないだのロンドン騒動。
イギリスじゃ、そういうことが既に起こっており、空洞化が起きているようですね。

が、私は、今度の震災を機に、現代日本人は、文明を享受し、24時間店が開いている現状から、大きく舵を切らねばならないと思ってもおります。
ただ、今から戦後の貧しい状態へ行ける訳ではなし。
何らかのビジョンが必要であると思っております。

しかし、今、新聞で読んでいる東電の力というのは、真に凄まじい。
前々から、よくもまぁ、おばさんらを研修という名の観光旅行に大勢連れて行ったり、今やらせ問題も取り上げられていますが、現段階でも平気でそういう事を行う感性とかが理解に苦しみますが、以前からそういう事は平気で行っているのは、僕らにとっては半ば常識のようなものでした。

何人かの当事者は、責任を感じているようですが、科学に限らず「絶対安全」なんて、ありえない。
僕が、読んでいる新聞によると、官界、政界にも凄い力を発揮してきた電力業界の中でも、東電は特別だったらしいです。
僕は、こんな日本国中に言い知れぬ影響を与えた一企業が存続するのには、大きな疑問なのですが、彼らは、今血眼になって画策しているらしいです。

文明の転換


なんだかんだ書きましたが、この震災を機に、日本人は、転換しなければならないと持っております。
アメリカは別にして、こんな夜もネオンが煌々として、なんて国、世界でも数少ないと思います。
それほど詳しい訳ではないけれども、同じ先進国でもヨーロッパなんかは、もっと質素な生活をしていると聞きます。

何もネオンの電気代が・・・・という小さな事を、僕は言うつもりはないです。
僕らの文明を享受し続ける生活は、どこかで破綻する。

しかし、だからといって原発を即時、全て停止せよというのは、あまりにも現実を無視した話ではないか。
ただ、国の方針だったとはいえ、一企業の大失態のために、国民全てが忍耐せよというのは、一体、東電の連中は、そういうことを真摯に受け止めているのだろうか?
あまりにも理不尽で怒りに耐えない。

 

反原発運動と反・反原発運動に関して


原発事故が起きた当初、多くの日本人は、安穏に大多数が「それでも原発は、必要だ。」という意見だった。
僕は、随分、暢気な鷹揚なというか国民だなあと思っていました。

なぜなら、多大な事故の影響で人間心理で言えば、「放射能など、二度と御免だ。」とヒステリー状態へ陥っても仕方ないと僕は考えたからだ。
が、徐々に自分達の生活に大きな影響を与えてきたのが理由か、最近の反原発運動は、勿論、冷静な人もいるだろうが、ある種のヒステリー状態といってもいい。

しかし、ネットで散見される反・反原発運動を主張する人々の意見も、人を小馬鹿にしたつまらない真面目さも何もない意見ばかりだ。

ノータリンだけど、何故かいまだジャーナリズムに重宝されている田原総一朗というおばかさんは、数少ない根拠で、現在の反原発運動の状況と昔の安保闘争と似ていると主張する。
曰く、昔の反安保の連中は、安保条約など読みやしない。
そして、今の反原発運動の人々も、科学的なテキストを読んでいない。

こういうおばかさんが、ジャーナリズムの中心にいさせるというのは、もはや日本のジャーナリズム自体がメルトダウン寸前。
僕にとっては、どうでもいいんだけど。
おバカさん達に、正論を言うのもバカバカしいが、そういう科学的事実や事柄を解説してまわるのが、旧メディアの仕事じゃないの?

僕から見ると、今の反・反原発運動を繰り返している連中のメンタリティは、全共闘の連中に似ている。
そういうことを、既に英文で書いたのだが、英文で書いた理由は、
・もう一度、世界に発信してみたかった。
・今、ネットでご活躍の全共闘ジュニアの無意味で気分が悪くなる攻撃を避けたかった。
です。

[ Japanese social media report ] Marx said that “A specter is haunting Europe ― the specter of communism. ” On Manifesto of the Communist Party. But we have to say that “A specter is haunting Japan ― the specter of Zenkyoto=全共闘.” | KI-Academic
Character Of Zenkyoto Generation And Zenkyoto Junior No.1 | KI-Academic

全共闘と全共闘ジュニアらの特徴の性格付けは、当時アイデアがまだまだあり、タイトルにNo.1とあり、続けるつもりだったのですが、こんな事に時間と労力を使うのはもったいないと考えを改め、やめました。

 

現在の科学者のネットでの活動について


何か科学に関係している、おそらくは理論物理の連中が、「人体へ与える放射線への影響」について、ツイッター上でいい加減な事を言っていたので、僕の知っている知識で反論してみると、その反論には答えず、「暇な人ですね。」だとさ。

データには、データで勝負する世界の科学者の端くれが、そんな程度。
また、最近、啓蒙に燃えている理科研の一人は、市民が使う専門用語をご丁寧に、一つ一つ、その正確な使い方を注意している。
そういう人たちが、多くのフォロワーを従え、彼らの意見をありがたがっている様子。

僕は実験科学の現場にいたのですが、結果がものを言い、結果により判断されるシビアな世界。
が、理論派は、違うようですね。
『原始村』の【安全神話】を振りまいていた連中が、その後、何らの処分、例えば、大学を首になるとかは聞いたことがありません。
(2012年10月 追記)

その後、2012年に開催された学会も自己弁護ばかり。
とても、同じ科学者などとは名乗って欲しくない連中です。
全共闘の連中は、僕が分析を加えたように、権威を徹底的に敵視していたのであるが、現状の日本では、そういう権威にぶら下って、彼らの主張をスポークスマンよろしく繰り返し、それが自身のアイデンティティーになり、ヒエラルキーを感じている人々も大勢いるようです。

 

現在の科学者の責務


某大臣の「2番じゃいけないのですか。」的な発言は、全くナンセンス。
日々、凄まじい勢いで日進月歩で進歩している科学技術を、最初から2番を目指して、作るなら、そんなお金、どぶに捨てるようなものなのだ。
ただ、そういう素人の意見に黙り込み、なんら反論できない科学者の方が、もっと恥ずかしい。

その問題のスパコンは、我が神戸にできたのだが、報道されていた用途だけのために、そんな莫大な金額をかける必要があったのか、僕にも疑問だが。
ただ、科学というのは難しくて、結果・成果がすぐ出るものというのは、基礎であればあるほど数少ない。
だからと言って、基礎を止めてしまうと、科学自体の進歩が止まってしまう。

こういう非常な財政難の時代である、何でもかんでもというわけにはいかないのだ。
要は、「選択と集中」であると思う。

危険社会―新しい近代への道 (叢書・ウニベルシタス)

チェルノブイリ原発事故直後に書かれ話題を呼んだ、この書は、現代社会の困難な状況に迫っている。
『危険社会』とは、本来『リスク社会』と訳すべきなのだが、チェルノブイリ事故での放射能汚染、遺伝子食品など、そのリスク評価は、科学の最先端に位置し、その評価が明日、変わるかもしれない。
しかしながら、そのリスクというのは、我々人類の歴史自体に、半端じゃない大きな影響と長いスパンで影響を与える。

従って、今までのように科学者の世界で全て決めていく事はできない。

科学者が、もっと市民の中へ入り込み、彼らの持っている知識を解りやすく説明、共有し、一つ一つ市民と共に決定していかねばならない。

この本は、おそらくは久々にジャーリズムを感じさせる朝日新聞の「弧族」という造語で連載していたきっかけになったのではないかと思われるのだが、今我々を肌で感じるほどリアルに感じる「リスクの個人化」についても書かれたとても興味深い書となっている。

朝日の連中は、噂通り、エリートばかりになってしまったのだろう、こういう震災後こそ、「弧族」と呼ばれる人達が受けるダメージは、深刻なはずだが、あっさり連載を震災で中断した。
多分、新聞記者というよりも、社会学者のように新しい概念のようなものを誇示したかっただけなのだろう。
取材した非常に困難な状況にある人々も、ただ単にそんな彼らの道具なんかに過ぎないのであろう。

ジャーナリズムも昔と大いに変わってしまった。
それに、多くの日本人も。





 

反・反原発運動を行っている連中の姿勢


実は、反・反原発運動を、面白くおかしく行っている連中は、反原発運動の主張そのものよりも、多くの場合、その姿勢やかかわり方を問題にするやり方、つまり、卑俗な例で示せば、せいぜい「あなたも暇なですね。」とか昔なら、「なんだ。君の赤いシャツは。」などと、議論していて、相手に、まともな反論ができない場合、三流の人間が取る手。
こういうのを、ある種、非常に意味のあるなにか思想的手段にまでしてしまったのは、品性下劣な吉本隆明:吉本隆明 – Wikipediaの大きな影があるのだが、ここでは述べないで置こう。

ただ、ただ英文の全共闘ジュニアを分析した記事:Character Of Zenkyoto Generation And Zenkyoto Junior No.1 において、精神的な意味においても日本から出ずに、本を読み漁り、自分のみには「世界が見える」的な発言を繰り返し、一部信者に熱狂的に支持されている彼は、部屋に篭って、社会を知るといえばテレビ、そして、そんな世間知らずの彼らが、ネットで大いに咆える全共闘ジュニアらの姿と重なり、彼らのプロトタイプ(原型)なのではないかと指摘しておいた。
これも、英文で触れているが、何も吉本の著作自体が、読むに値しない、といっている訳ではない。

ただ、丸山眞男、現在でも社会学の分野では、大澤真幸、見田宗介ら有能で真面目な方々が存在するのに、全く議論を建設的にすすめることができない(「朝生」のように)品性下劣な人間が、ハバをきかせ、大きな影響を与えているのは、真に残念なことだ。

 

僕の原発への立場


はてさて、いつまでも続けるわけには行かず、そろそろ本題に入ろう。

自身のブログ、mixiにおいて震災直後、情報提供を行っていた頃から、何度も口を酸っぱく言ってきた事は、僕自身は、「放射能が人体へ与える影響」に関しては、コミットメントできるが、“原発施設””原発事故”に関しては無知です。

また、現在、反原発運動行っている人達の多くは、その科学的なものにしか固執しないが、脱原発を考える上では、数多くの論点があると思う。

  • ・エネルギー政策
  • ・安全保障の観点
  • ・また広い意味での国際関係

そういうことに関しては、無知である僕は、「反原発」「原発推進」、どちらの立場も取れない。
ただ、僕がから言えることは、半分冗談で、「ここには、非常に危険な物質が埋まってますよ。」と、遠い遠い、その時代に支配的な生命体に一体どうやって伝えればよいのか?ということが言われている科学技術に、いつまでも依存する訳には行かない。

今、現在思いつくものをざっと挙げてみたが、まだまだあると思います。
他にも多くの観点から、様々な分野の専門家が知恵を出し合い、市民と共に議論し合わう必要があるのだが、その環境作りに尽力すべき、出版界には、もはやそういう力はないようだ。

 

ただ、「脱原発」への道筋も色々あると思います。

「脱原発」論者の中には、「今年の夏は、なんだかんだと言って乗り切れた。ということは、即原発を廃炉にしても何の問題もないはずだ。」という無茶苦茶な主張する方もいる。

が、今年の夏は、猛暑でなかったし、毎年、こういうノルかソルかのようなアクロバットな事、一般個人である僕はごめんだ。

 

微量放射線の影響


はっきり言って、まだまだ緊迫し、逼迫した状況にあると僕は考えているのだが。
何度も「放射線は、世界的規模で、非常に長いスパンの歴史において、人類だけでなく生物圏全体に」影響を与えるといい続けているのだが、素養のない人達に何を言っても、単なる言葉の遊びかなんかのようだ。

そういう状況において、自分の知識をひけらかしたいだけ、自分の主義は何があっても変えない科学者なり、研究者は要なしなのだ。

忘れっぽい日本人は、覚えていないかもしれないが、90年代に問題となったフロンガス。
このガスは、大気圏の上の方のオゾンホールを破壊してしまう。
そのことによって、放射線の一種の紫外線が、地上へより多く降り注ぐ結果となる。

そのことが、生物圏にどういう影響を与えるかは、今も昔もよく解っていないのではないか。

紫外線とは、生命の誕生にも関係するし、おそらくは進化にも。
我々ずっと遠い祖先が、海から陸へ上がるのに、この紫外線のために大変、苦労させられたのだ。

僕は、原発事故に関しても、チェルノブイリの頃は、忙しかったのか、それとも日本では、あまり報道されなかったのか、新聞は読んでいますが、よく知らなかったりする。
なので、今までの事故と比べて、どうなのかは、よく解らなかったりする。

が、東電の連中のデータの扱い方
は、とても技術者とも思えないのだ。
また、いまだに瞬間的なデータを誇大視しているが、上の紫外線の例でも、おわかりのように、例え微量でも蓄積続けると、その影響は、計り知れないのである。

 

本来、この記事で皆さんへお伝えしたかった事


この記事は、そもそも、パブーで電子書籍「放射線が人体(生物)へ与える影響(仮)」を執筆しだしたことを、お伝えしたかっただけであったのだが、随分、長くなった。
そして、僕も疲れてきた。
勿論、読む皆さんも大変であろうが。

正直、ほんとの科学者の間では、僕は、「放射線の専門家」なんて名乗れないだろう。
それに、僕が関係する医療関係でも、CT,X線などを使う医師、放射線技師など、放射線のレクチャーを学生時代、受けていた連中は幾らでもいるはずだ。

僕が、放射能と言わずに、放射線、放射線という語を使うのは、それらは、意味するところが違うのです。

他にも学者だけではなく、放射能及び放射線に関する知識を、お持ちの方は大勢いるはずだ。
が、なぜか前述の嬉しがりの他、ネットや現実世界でも発言していない。

無意味な攻撃を受けて傷つくのは、誰も嫌なはずだが。

 

神戸近郊に住む僕


僕は、ユーチューブで初めて、凄い津波で家々が流されていく映像を始めて見た時、思わず大泣きしてしまった。
同じく英文の記事に貼り付けてある、渡辺謙の呼びかけで、主にハリウッドスターが日本へ送るメッセージを見たときも。

が、そんな事を周囲で言う僕は、かなり浮いていた。
僕自身、これによって、僕は人一倍、感受性が鋭い人間なのだろうかと考えた事もある。
が、ある人の示唆を受けてわかった事だが、同じ震災地でも、その生の現場やなんらか係った人達とそうでない人達の間では、今回の震災の受け止め方は、随分違う。





東北以外の全国の人の中には、神戸の震災を経験した者は、やはり自分達の受けた傷も大きい、というような事を発言しているのだろうと思っている人もあるかも知れません。

が、事実は逆で、多くの人は、僕らの時も凄かった、が、今回の震災は、はるかに規模を超えていると異句同音に述べている。
想像力の働き方が違うのかもしれない。

実際、僕が住んでる家の揺れ方は、尋常ではなかった。
が、僕は、まぁ10数人くらいの犠牲者は出たかも、とか考えていた。
しかし、会社のテレビで、高速道路が転倒している映像を見て、これは・・・。

神戸市というのは、地理的に大変広い。
深刻な打撃を受けた長田区という場所から、ほとんど影響を受けなかった場所もある。

その後の勤務地となった長田区とは、どちらかというと洗練され、ファッション的でおしゃれな神戸の中では、大変異質な下町であり、人々のネットワークも生きており、震災直後、炊き出しや焚き火で暖を取っていたのだが、勿論、知らないだけで汚い話もあるだろうが、時代が随分、以前だということもあり、心温まるエピソード、美談が結構、あったりする。

そういう震災直後の人々の交流から、自分の進路を決めた少年らも少なくない。

 

少年Aの事件に関して


が、これも近郊の事件、少年Aは、僕が読んだ本によると、その震災の様子で、「人の命は軽いもの」と感じてしまったようだが。
僕は、この事件で随分長い間、子供は持つまいと決心した。
というのは、少年Aの家庭は、母親は少し一般の倫理観のようなものと離れた人物(しかし、異常と呼べるほどのものではない。)であったが、まあ平均的な家庭であった。

その少年Aの家族は、慰謝料を払い続けながら、どこかで生活する。
被害者家族だけでなく、自分の家族も無茶苦茶にした少年A自身は、取り立てて深い反省の弁もなく、就職の世話もされ、どこかで生きている。

僕は、例え、自分の子であろうと、普通に育てた子供に自分の人生を後ろ暗く世間から隠れて生活するなんて、真っ平ごめんなのだ。

 

いわゆる現在ハバをきかせているおバカ世代について


この事件では、事件現場の報道で、レポーターの後ろでピース、ピースなんてふざけた事してた連中が、少し話題となった。
そして、そういう事が、仲間にも受けていたらしい。
あほな連中が残念な事に、そのまま大人になり、現在、ネットを中心にハバをきかせ、時に世論を作ったりする。

「何故人を殺してはいけないのですか?」
公共の電波で・・・。

僕には不思議な事に、こういう愚か者の問いに真面目に応えようとする大人は少なくない。
中には哲学者の名も。

 

いわゆる2030年代問題について


一部識者の中では、2030年頃、日本は大変な事態が生じると論じていた。
いわゆる2030年問題。

現在、色々な社会学調査で明らかになっている、いわゆる引き篭もりという人々、どうもその多くが一度も働いた経験などなく社会経験がないのだ、彼らが現在、40歳前後に達しようとしており、その集団の規模は、少なくないのだ。
彼らが、60歳前後になるのが、2030年前後。

はっきり言って、国民年金も払っているかどうか大いに疑問の彼らが老齢に達した時、考えなればならない年金問題は、現在の比ではないと思う。

引き篭もりと一口に言うな!とプライドだけは、異常に高い彼らは言うであろう。
僕も、一般には慎重に考えるほうだ。
それに、働く意思があったが、過酷な就職難で、働き口がなかった人達もいただろう。
また、理不尽な形で止めざろう得なかった人もいるかもしれない。

彼らと付き合いたくない僕も、彼ら若者一般のおかれている過酷な境遇には、同情していた。
“自己責任”という言葉も嫌いだ。

人間とは、社会的動物であり、環境とは切り離せない。
従って、どこまで自己による責任かを追及するのは、そう簡単ではない。

ただ、彼らのお仲間にネット上で受けた攻撃や、例え、働いていようと「上から目線」という言葉を平気で使う彼らのメンタリティは、同質だ。
一体、職場で「上から目線」ではなく、どうやって仕事を教えて貰っているのだろう??

 

全共闘ジュニアの“アイロニカルな没入”


全共闘世代でもあるスガ 秀実は、小泉政権時、少し不思議がられていた、最も小泉改革で痛みをこうむる集団が、最も熱烈に彼の事を支持していた現象を、「それは、会社経験のない彼ら、社会化されていない集団による官僚らに代表されるエリート達への呪詛である。」と分析していたようだが、全くその通りであろう。

彼らは、安易に資本主義、社会主義という言葉を使うが、または左翼、右翼でもいい、リアル社会の経験からも、彼らは、その意味などを、皮相的にしか理解していない。

ツイッター上では、例えば政治ハッシュタグにおいては、民主党政権を悪し様に罵るツイートで一杯だ。
が、もはや以前の政策、マニフェストは、跡形もなくなくなったとは言え、「彼ら働かず、親の脛をかじるだけ、かじって、ネットで好き勝手してる連中」の事を考慮に入れようとしていたのは、民主党であって、決して彼らが熱烈に支持する自民党ではない。

割と穏健な人々に支持されてきた自民党の支持層も、このところ様変わりしている。
完全にイデオロギー化しているのだ。
社民党という政党も存在するが、イデオロギー化しているのは、今、保守のようだ。

そういう人達にしか支持されなくなった自民党は、痩せ細るばかりであろう。
これは、日本政治を考える上で由々しき事態なのだ。

 

ベーシック・インカム


ベーシック・インカム、国民全ての最低限の生活を送るお金は、政府が保証しようというもの。
その理念には、基本的に共鳴するのだが、何の努力もせず、親の脛をかじり、ネットでは好き放題。
何でこんな連中のために、我々の税金をつぎ込まねばならないのだろう。

そんな彼らの一人は、テレビで「将来、どうするの?」と問われ、「政府が何とかしてくれると思います。」としれっと。
彼のお仲間は、幾ら主義が違うとは言え、汚い言葉で民主党政権を毒づいているというのに。
政策的に彼らの存在を考慮に入れ、政策決定をしようという民主党に激しい攻撃をしている現状は、大澤真幸が分析する「アイロニカルなる没入」程度では、済まされないのだ。

 

若者世代の大きな意識の格差
「尊敬する人物」が、「両親」と報道されていたのを、嫌な予感がしていたのだが、
ゆとり教育、友達親、友達先生・・・・、甘ったるい環境で大事に育てられた甘ったれのために、日本のネット社会は、無茶苦茶。
現実世界もこれから、大きな弊害となるだろう。

あまり詳しく述べるないが、同じ若者でも、そういうぐうたらのメンタリティと現在、積極的にIT技術を駆使し、仕事のやり方自体を変革へ導いている者の意識の持ち方の開きは、大きくなるばかりで、今後埋まる事はないだろう。

再び「全共闘世代」について
無茶苦茶に暴れ、教授をチンピラのように取り囲み、恫喝としか思えないような詰問をし、運動が収束してしまうと、そんな先生らに「単位、下さい。」「就職したいんです。」と。
彼らは、学生の分際で「労働者を教化を!」というスローガンを掲げていたこともあった。





これも英文で書いたのだが、あの当時、世界的に若者が荒れ狂っていた。
しかし、アメリカでは、そういう人達の中から、クリントン、ヒラリー、オバマという人達が生まれたりもした。
フランスでは、当時、活躍していたフランス現代思想家の何人かの考えを軌道修正させるほどの深刻なダメージを与えたりもした。

が、日本では、日本の社会を無茶苦茶にされただけで、その後、一部過激派がアラブ世界で慄かれただけだ。
そんな彼らは、本来の彼ららしく、ただの猛烈サラリーマンとなって、今、老後を迎えている。

もし、僕がそんな運動にかかわっていたとしたら、その運動が収束し、ふと我に返ったら、おそらく自殺していただろう。
確かにそうした人もいる。

だが、彼らの多くは、現在、自由な時間を手にし、たまたまテレビで目にした彼らは、その時間を何に使おうか、実際にボランティアをしている人を、彼らお得意の不平不満で議論し合ったりしていた。
彼らは、議論だけし、アクションは永久にしないのではないかという点は、相変わらずである。

僕の周りにも、時間だけ持て余した彼らが、図書館でだらだらと時間をつぶし、遠慮なく居眠りしているのを、見たりする。
もし、彼らの若かりし頃、行おうとした社会革命というものが、少しでも本当なら、今頃、彼らは、何らかの形で社会貢献という形に結実していてもいいはずだが、残念ながら、そういうことにはなっていない。

再び全共闘ジュニアについて
彼らは、家庭では非常に非常に優しい物分りの良い親であったらしい。
お陰で、躾のできていないプライドだけが異常に高い、自分の事だけしか考える事ができないジュニアどもが、多く世に放たれた。

彼らジュニアの働かない、または、働けない集団というのは、社会的な弱者という点では、障害を持った方や理不尽な重い病に罹った人達と同じであるかも知れない。
しかし、そんな自分だけが大事、が、そんな自分の行く末もままならないジュニアどもは、そんな苦しい境遇ながら、精一杯生きている人たちの存在を思いを馳せる事はない、ばかりか似たような苦しい境遇の人達へ人間の心を持ったものとは思えない言葉を平気で投げ掛けたりする。

そして、彼ら一流の正義感は、障害者らを美談で報道するのを、黙って許さない。
僕は、ミクシィで放射線の情報提供を揶揄されて、あまりにも怒ったので、彼らの一人に随分、関わったのだが、彼らには、通常の人間の心が存在するとは考えてはいけない。
そんな彼らと関わり合いになると、こちらの精神が蝕まれてしまう。

そして、彼ら一流の自分の正義を掲げる様は、誠に凄まじいばかりだ。
相手に逃げる場所を一切与えないのだ。
が、自分に非がある場合は、全く都合よくスルーする。

僕も僕よりも上の世代と喧嘩や理解できない人たちは勿論いる。
が、そういう人達の思考パターンや性格なりは、ある程度、理解できたりする。

しかし、彼らは違う。
同じ言語を使う彼らは、外国人よりも宇宙人よりも理解の範疇を超えている。
なぜなら、宇宙人とは、もはや、ある程度のイメージが僕らの中でできている。
はっきり言って、思考パターンや性格など見えない理解できない存在と関わり合いになること

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