[書評]角田光代『森に眠る魚』女性心理描写が巧い


僕が生まれたのが1968年。
すでに日本社会は核家族化が進み、僕は、団地で家族4人の中で育った。

その昔、女性の社会進出をテーマに議論が進められていた時、反対派論者に「原始狩猟時代から人類は、女性が家を守り、男が狩りに出ていた。」
なので、女性は家庭を守るものであるという言い方がよく見られた。

しかし、農耕社会となった時代には、それは当てはまらず 、老若男女とも汗を流し、近代でいう<子供>も存在しなかった。
どういうことかというと、今でこそ学校に躾を求め、どういう先生が自分の子供の担任となるとか、学校に過大なる期待を寄せるが、明治時代、日本に義務教育制度を導入しようとした時、人々は猛烈に反対したそうです。
何故か?
西洋も含め、中世にいた子供は、小さな大人であり、なんら大人と区別されていませんでした。
近代になって、子供というものは、かくかくしかじかのものであり、「子供だから・・・」とか「子供はそういうようなもの。」など大人と区別する発想が生まれました。
<子供>という概念の誕生です。
このことは、日曜歴史家であるフィリップ・アリエスによって明らかにされました。

〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活

歴史とは地層のようなものであり、歴史の断層の下のことは、なかなか地上からは窺い知れないような気がします。

長い前置きはこれくらいに^^


僕を母が育てた1970年代には、『白壁ノイローゼ』というものがあったそうです。
それまでは、おじいちゃん、おばあたん、隣近所、皆で育てられていた子供の養育を一手に任され、育児ノイローゼとなる人がいたそうです。





そして、バブルがはじけ1990年代に突入した頃から、「公園デビュー」「お受験」なる言葉が出現しだしました。
この角田光代さんの「森に眠る魚」は、そんな時代の子供をもつ女性たちの物語である。

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