「『こころ』はだれが壊すのか」を読んで社会の精神医学化を考える


精神(心)と物質という二元論的見方を許すなら、僕は、精神(心)を重要視する人間である。
ハードとソフトなら、ソフトを。

そんな僕が、青春時代を送っていた頃(まさに管理教育の時代:スカート丈が足下何cmが真面目に先生が計り、持ち物検査のため学生かばんを平気で検査されていた時代)、『心』は傷ついても目に見えないが、もっと想像力を働かして、よく考えろよと怒っていた。

そんな状況が一変したのは、阪神大震災だった。

いわゆるPTSD()だ。
これ以降、『心のケア』が重要視されていった。



しかし昨今の何でもかんでも、心に原因を持っていき、はては、犯罪者を脳の障害、または遺伝子によるものというのは、明らかに行き過ぎではなかろうか。

著者の一人、精神科医・滝川一廣氏は、これを『社会の精神医学化』と呼ぶ。

本書、「『こころ』はだれが壊すのか」は、前著「「こころ」はどこで壊れるか―精神医療の虚像と実像 (新書y)」に続いてフリーのジャーナリストである佐藤幹夫氏が、滝川一廣氏にインタビューというか問題を提起する形で進められる。





本書は、話し言葉で書かれているためか、滝川一廣氏が自身の滝川哲学のようなものを自分の言葉で話すためか、僕にとって書かれている内容が中々しっくりと頭に入らなかった。

本書のタイトル「『こころ』はだれが壊すのか」の投げかけた疑問の滝川一廣氏結論の先に述べると、問題が個人化する社会、自己責任のきつい社会の中で、『社会のふところの浅さ』と心のケアがさかんに叫ばれた結果、物事を個人が被害的に受け止める傾向が強まったことによる、なんでも医療の専門家に任せてしまうとする『社会の精神医学化』によって、壊されているとしている。

それでは一緒に「『こころ』はだれが壊すのか」を見て行きましょう。

「こころ」はだれが壊すのか
「こころ」はだれが壊すのか
滝川 一廣, 佐藤 幹夫

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「こころ」はだれが壊すのか

【序章】「こころ」についていくつかのこと-フロイトの関係発達論から

「基礎レッスン」としてフロイトが取り上げられています。
フロイトの性愛を基盤にして打ち立てた「発達理論」、エディプス・コンプレックス、「無意識」の概念について佐藤幹夫氏の問いかけに答える形で滝川一廣氏が解説しています。





【第一章】「ふところ」を浅くする現代社会

社会が「精神医学化」し、従来は福祉や教育で対応してきたはずの非行、あるいは学校で不適応を起こしている子供たちが、精神医療に持ち込まれるようになった動向を論じた滝川一廣氏の「問題行動の精神医学化に寄せて」という論文から、お伺いを立てる形で佐藤幹夫氏から滝川一廣氏へ投げかけられています。

そこで滝川一廣氏は、問題の背景にあるアメリカで作成された精神障害の診断分類マニュアル(DSM)を問題視しています。
そして、それを受け入れる社会の事情を自己責任を強く要求され責任のきつい社会に日本もなってきていないだろうかと読者に問いかけています。

昔、「社会のふところ」を形作っていた社会の枠のシステムがなくなり、問題が個人化して、自己責任において対処せざるをえなくなり、そこから逃れるようなかたちで、「こころの専門家」に向かうこととなって現れていると佐藤幹夫氏と滝川一廣氏は分析しています。

そして、困ったらすぐ特別の専門家へ、精神医療へ解決を任せるのではなく、問題の解決の場を身近へ戻していって、身近における解決能力に対して専門家が、専門的な知恵や経験を持ってサポートすべきではないかと滝川一廣氏は提言しています。

困った問題の処理を専門家や専門機関に全て依存していったら、身近で悩みや問題を解決したりする知恵や力が弱まって「社会のふところ」を浅くする一方だと危惧しています。

そして、話は失敗がおきた時に、その当事者・関係者への非難や責任追及に熱中するマスメディアの人たちがかざす「正義」について飛ぶ。
彼らは、現状の精神病院の体制を知っているのか、本当に問題を共有しているのかと。

そしてさらに話は、前章のフロイトに触れながら、現代社会では「大勢のなかの自分」という感覚を意識させられる契機が少なくなっているため、「かけがえのない自分」という感覚も持てなくなっているのではないかと問題提起しています。





【第二章】 「児童虐待」の語り方に異論あり

「虐待」という言葉のドギつさについて原語の持つ本来の意味から説き起こしながら、極端なケースから出発した政策やシステムが、本当にこの問題に上手く働くのかと滝川一廣氏は危ぶみます。

そして、そもそも「児童虐待」が多き取り上げられ、人々に認知された結果、相談件数は増加したが、社会全体が子供を手厚くケアし大事に大事に育むのが当たり前になった現在だからこそ、そこから外れた子育てが大きなコントラストをなして浮かび上がってきたので

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