「現代殺人論」を読んで殺人者について考える


現代殺人論
現代殺人論
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昨今、一般人には想像できないような事件が相次ぎ、異常気象と同じように、もはや我々も、それが日常化してしまった感がある。

そういった犯罪を犯す犯罪者の事を知ろうと本書を手にした。
しかし、残念ながら本書を読んでもよく理解できないのが現状である。


本書は、表紙裏にある犯罪精神医学の専門家が、異常人格者の素顔に迫ると書かれているような内容ではなく、犯罪学の類型を示しながら、その類型に当てはまるような殺人者の実例を紹介しています。
したがって、殺人の動機など殺人者の精神心理に深く切り込むような内容にはなっていません。

したがって、第三章まではあまり面白い本とは言えませんでした。
しかしながら、第四章の殺人の起源から俄然面白くなり、第五章、第六章の著者の専門である精神障害者と犯罪を取り上げた章は、著者の意見も大きく自分の意見を盛り込んで大変、興味深かったです。

第一章 昔の犯罪、今の犯罪の項で著者は、現在の殺人事件は、量的にも質的にも昔と変わらないと主張していますが、僕はそうは思わない。
量的には、そういうデータがある以上、そうなのかもしれない。
しかしながら、質的には明らかに変貌しているといわざろうえない。
なぜなら、昔の殺人事件は、動機にある程度、推論なりがあり、無理やりにも説明が出来た。しかしながら、昨今の殺人事件には、おそらく精神医学者を持っても説明困難な状態ではなかろうか。

したがって、第3章までの殺人者の位置づけや殺人の分類は、現代には通用しないような物を感じ、なんだかテキストでも読むような感じがした。





しかしながら、第四章の殺人の起源の項で述べられている事は大変、面白かったです。
少し前までは、人間以外の動物は、仲間殺しはしないというのが定説であったが、これは日本の動物学者のサルの子殺しの発見によって覆されている。
ぼくの好きな感性豊かな経済人類学者、栗本慎一郎の人間には攻撃性を本能として持っているという説に僕は同意見であります。
そうでないと人間の殺戮の歴史は説明しきれないし、医学的に言うとアドレナリンという体内物質の存在も説明しきれないです。

栗本慎一郎の近刊をここで紹介しておきましょう。

パンツを脱いだサル―ヒトは、どうして生きていくのか
パンツを脱いだサル―ヒトは、どうして生きていくのか
栗本 慎一郎
ヒトとはどういう生物で、また、現代の世界を陰で動かしているある集団について詳しく書かれており、大変、示唆に富む本となっています。

話はそれましたが、この項で著者は、農耕社会のほうが大規模な殺し合いが多いという最近の学説を紹介しています。
一般には、狩猟民族のほうが好戦的だというイメージが先行し、そういうことを言うコメンテーターも多いのですが、冷静に考えてみれば彼らは生活するためにやっているのであり、それに快感や何かを感じているわけではないという事が本書を読みよく理解できました。

一方、農耕民族のようにある土地に定住すれば、それを脅かす存在、また、別の農耕社会を侵略しようとする部族がいておかしくないはずです。

第五章のパーソナリティ障害と殺人の項のシュナイダーによる精神病質者の類型の情性欠如者-心を持たない犯罪者には注目したい。





昨今のマスコミを賑わせている犯罪者は、この類型の人達が多いのではないだろうか。
本書で例として挙げられている宅間守がもっともたる例ではなかろうか?
彼らの心情など全く理解できなく、理解する必要などもないのではなかろうか。

本書で快楽殺人者の例で挙げられている酒鬼薔薇事件の少年Aの心情にも全く理解不能である。おそらく本人にも理解できていないのではなかろうか?
この事件は僕が住む近くの事件であり、僕がある期間、結婚しても子供を持ちたくないというほど精神的ダメージを与えた事件でもあった。

そのため、この事件に関してのドキュメンタリー本を幾つか読んだが、結果として彼が何故そんな事件を起こしたのか全く理解できなかった。

「少年A」14歳の肖像
「少年A」14歳の肖像
高山 文彦

よく言われるように母親が少し常識はずれなほど、彼に厳しかったようだが、それによって少年Aが母親に屈折した愛情を持つようにいたった事は理解できても、それによって、あんな残忍な殺人事件(当時、病院勤めであった僕は、看護主任の「まるで横溝正史のような事件だ」という言葉でこの事件を知ったのであるが、全くその通りである。)また、彼の父親は沖縄の離れ島から集団就職によって神戸に移り住んだ大変苦労人であります。

そんな一般家庭から彼のような人物が現れたのに僕は大変ショックを受け、個人主義者である僕は、そんな子供のために僕の人生を無茶苦茶にされたくないと感じました。
38歳となってみて、家庭での責任を自覚するようになってからは、もしそんな事件を子供が犯したなら、一生をかけてその責任を負わなければならないという覚悟をできましたが。
少年Aは、死体を切り刻む時、性的興奮を感じていたそうです。

話を本書に戻すとこの情性欠如者のような人達が現れた背景として、著者は環境説をとなえていますが、僕は全く同調しないです。





一般人の感覚から理解不能な事件が起こると、こういう環境説論者と犯罪者の資質説論者が平行線の不毛な議論をしますが、「遺伝子と運命」講談社ブルーバックスにあるように人間のたどる人生とは、環境と遺伝が複雑に絡み合って成り立つのであって、どちらか一方といのは極論過ぎると考えています。

遺伝子と運命
遺伝子と運命
P・リトル
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また、この項では米国精神医学会が掲げる「精神疾患の診断と統計マニュアル」の反社会的パーソナリティ障害者との犯罪との関係を述べています。
ここで僕の意見をちょっと、一部の映画監督も昔は非社会的であれ反社会的であれ、一般社会の常識からかけ離れた人達がいて、またそんな一般社会の常識に物申すみたいに作品を撮っている監督が

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  1. 医学を集めた

    犯罪学(はんざいがく)とは、なぜ犯罪が起きるかを”犯罪者の観察や診療を通じて医科学的に考察し、どのような傾向を有しているかを研究する”学問である。犯罪生物学と呼ばれる場合も多い。犯罪者処遇を研究対象とする学問を指す場合もあるが、その場合、ここで述べる

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