「刑法三九条は削除せよ!是か非か」呉智英・佐藤幹夫共編著を読んで

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本書は、大阪・池田小学校事件の事件以降、精神障害を抱える人々の犯罪がクローズアップされ、心神喪失者等医療観察法が成立した背景の中、編者呉智英・佐藤幹夫が、「刑法三九条の問題をどう考えるか」とのテーマで、二〇名ほどの識者にこの企画への参加を呼びかけ、結果、9名ほどの論者が、各人の自由意志で、この問題に対する各人の自由な見解を持って参加しています。

刑法三九条は削除せよ!是か非か (新書y)
刑法三九条は削除せよ!是か非か (新書y) 呉 智英 佐藤 幹夫

洋泉社 2004-10
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刑法三九条は削除せよ!是か非か


したがって、「刑法三九条は削除せよ!是か非か」というセンセーショナルなタイトルですが、刑法三九条を削除すべきかという論点よりも、むしろ39条が抱える問題を各論者が述べています。
したがって、削除すべきであるとはっきり主張する論者は、2名ほど。
削除すべきでないと主張する論者は約1名にとどまる。

ここで、各論者の主張を紹介する前に、僕の職歴に触れないわけには行かないだろう。
僕は、以前、保険調剤薬局に薬剤師としてして勤務していました。その前は、総合病院の病院薬剤師として。

総合病院といっても、精神科はありませんでした。しかしながら、元精神科医も勤務しており、内科的疾患を併発した精神病患者も入院していました。
また、今で言う認知症の患者さんが、非現実的な事を言うこともあったようです。
そのため、元精神科医による勉強会もありました。

僕がベットサイドに服薬指導に行った精神病患者は、どこが病気なのだろうと思う人がほとんどで、皆、おとなしい人でした。




僕も一応、精神科領域の勉強をしており、そこからの知識を皆さんに披露すると、精神病は、寛解期(病気が落ち着いて、ほとんど普通の日常生活が送れる)の状態になっても薬を飲み続けなくてはならず、薬を中断すると、2年以内には90%以上の確率で再発します。
そのため、糖尿病などの生活習慣病のように根本的に治るという病気ではありませんが、白血病などと同じように寛解期に入ると、普通の人なんら変わらない日常生活が送れます。

統合失調症の発病の原因はわかっていませんが、脆弱性の上にストレスがかかると、ほとんど青年期に罹るとされています。
そのため100人に1人の割合で発病しますが(従って珍しい病気ではありません)、中年期に入った人が発病するということは、鬱病と違ってほとんどないでしょう。

一口に精神障害といっても、その病名は、統合失調症、鬱病、躁うつ病、てんかんなど多岐にわたり、その性格も大きく異なります。

さて、うんちくはこのくらいにして、本題に入っていきましょう。
僕の39条に関する意見は、この間のマスコミによる情報の氾濫によって、不確かなものに一時なりましたが、本書を読んで例え精神障害者であろうと、その犯罪が計画性に基づき、複雑な過程を含むものなら、遠慮なく罰するべきだと思います。

ここで押さえておかなければならないのは、宅間守の言質によるともよらずとも、世間では、精神鑑定で被告が精神病と明らかにされれば、“無罪”になるというような考えが流布されているようですが、それは、フィクションです。

例え、精神鑑定で精神病と明らかにされても、20例中5例くらいしか無罪になっておりません。
(これは、本書によって与えられた知見ですが、その後の報道を見ると果たして本当だろうかというのが、私の現在の感想です。)

それでは、順番に各論者が主張する論拠を僕の意見を交えながら、紹介していきましょう。

編者・呉智英による「責任という難問」

呉智英は、明治国家が近代刑法の原理のもと、うち立てた“責任能力”を問う刑法三九条は、現代では限界に来ているのではないかと問います。
そして、「心神喪失と認められたら一律に不可罪にするわけではなく、心神耗弱と認められても一律に罪を軽減しない、ということぐらいはできるだろう。被告人が拒否している時は、精神鑑定も、刑法三九条の適応そのものもできないという改正もあってもいいのではないか。措置入院と刑罰の併用だって検討されるべきだろう。」と主張しています。
また、「忘れてならないのは、生涯何の凶悪事件も起こさない心身喪失者や心神耗弱のほうが圧倒的に多いことである。この人たちが“未発の”刑事責任無能力者とされないためにも、犯罪に関わった心身喪失者や心神耗弱者の責任を問うことが必要なのである。」と述べています。

一般の精神障害者を心神喪失者と述べるのは気になるが、普段、過激な意見を述べている呉智英氏とは思えない中庸な大人な意見だと思います。

「三九条はきれいさっぱり削除されるべきだ」 佐藤直樹

佐藤直樹氏は、「近代における責任能力の成立の事情を歴史的に概観することによって、責任能力問題の根底にひそむ刑法の責任非難のあやうさを明らかにし、刑法三九条の責任能力規定は削除されるべきである。」と述べようとしています。

そもそも「判例上責任能力」の解釈による、犯罪者に理性(善悪の判断)や自由意志がなければ責任能力がない、とする刑法の原則が確立されたのは、近代刑法が成立する十八世紀末から一九世紀前半にかけてとし、その根拠を歴史的に概観しています。

そして、「責任能力の基準として、善悪を判断できる理性や自由意志を有すること、つまり刑法における『期待される人間像』としての、『自由意志-理性的人間像』が製造された」のは近代に入ってからとしています。

それ近代以前に日本でもヨーロッパでもあった、犯罪を犯した精神障害者が責任を免除されたり、刑罰を軽くされたりというケースは、『狂人は自分の病気によってすでに十分罰せられている』というローマ法の原則によるものであったとしている。

よって、犯罪を犯した精神障害者の免責や刑罰軽減は、法律家や精神科医が主張する『人道主義』や『人間愛』によるものではなく、少なくとも近代以降は、犯罪をおかした精神障害者は『人間』というカテゴリーから排除されたというのが正しいとしています。

佐藤直樹氏は、このような人間像は、フィクションであり、まったくインチキくさいとしています。

また、「このような精神障害者の『人間』というカテゴリーからの排除」をM・フーコーの研究から明らかにしようと試みる。
そして、「刑法上の『自由意志-理性的人間像』が生まれたのは、この監獄労働の登場と密接につながっている。」とする。

そして、理性/狂気の間に線が引かれ、病院に収容され、刑罰からも排除されることになったのは、精神障害者が監獄労働という刑罰を受ける能力のない者は、「『犯罪と刑罰の等価交換』の取引ができる理性的な主体になりえないからである。」とする。

そして、責任能力の規定が、精神障害者の『人間』ということカテゴリーから排除であるため、「刑法三九条の責任能力の規定は、刑法典からきれいさっぱり削除されるべきだというのが正しい。」と主張しています。

しかしながら、法学者であ

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