[ 書評 ] 名作 日本の怪談―四谷怪談・牡丹灯篭・皿屋敷・乳房榎〜内臓からゾッとさせらる怖さ〜

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僕は、映画をよく観たり、ホラー小説なんかにも興味があり、スティーヴン・キングなんかも読む。
が、いわゆるホラーは、その場での怖さであって、本当にゾッとするような怖さを感じるのは、子供の頃から知っている日本の怪談だと思う。

そういうことで、何となく知っている日本の怪談の名作の原作を改めて読むことにした。

名作 日本の怪談 四谷怪談 牡丹灯籠 皿屋敷 乳房榎 (角川ソフィア文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

薄情な男、民谷伊右衛門に嫁いだお岩は、毒を盛られて顔を醜く変えられてしまう。
夫に捨てられ、殺されるが…(「東海道四谷怪談」)。





牡丹模様の提灯をもったお露は、夜な夜な恋人の新之丞のもとへ通う。お露の正体は…(「牡丹灯篭」)。

日本を代表する怪談の多くは、小説や映画などに形を変えながら現代に息づいている。私たちの心の深層を揺さぶり続ける物語の原点に返り、現代語訳のダイジェストで楽しむ傑作選。

<読書感想>

「四谷怪談」

この角川ソフィア文庫の「四谷怪談」は、鶴屋南北の「東海道を底本としている。
90年代にか、幾つかのバリエーションの映画が公開されましたが、この「四谷怪談」を読んでから、調べてみると、それ以前から幾つかのバリエーションが存在したようである。
また、もととなる史実もあったようだ。

技巧に懲らした短編は、数多くあるが、わずか文庫本50ページくらいで、これだけ感情を上下させる短い物語は、なかなか存在しないであろう。
通常、今のホラーなどを読んだり、観たりすると、表現として、鳥肌が立つというのが、ピッタリだ。
が、この「四谷怪談」は、”肝を冷やす”という表現がピッタリで、内臓からゾッとさせらる。
それこそ、体中、のたうちまわりました。

読みながら、ふと感じたのですが、今、日本ブームであるが、この怪談の恐さを西洋人が理解できるのだろうかと。





怪談であるが、男女の情景がある。
その事によって、物語に艶を出す。
また、立て板の裏表に、お岩と男の死骸を打ち立て、川に流す、そんな歌舞伎的な面白さもある。

近代作家なら、動物の小道具的な使い方な面白さがあると評するところだが、近代以前の日本人にとって、人間と動物の敷居が、随分低く。
あくまでも、人間は、動物の延長であったのだろう。

浅はかな僕は、幽霊というのは、おどろおどろしく、”恨めしや”と現れるから、怖いのだろうと思っていたが、
そうではなくて、動物などに乗り移ったりして、その存在を恨む相手に意識させることが、怖さを生むのだということを学んだ物語であった。

当時の日本人の死後の世界と現世の距離の近さを感じさせる作品でもあった。

『牡丹灯籠』

その昔、司馬遼太郎氏が、近代以前に、日本に愛という概念が無く、恋がある、という事を言い、夏目漱石の作品の解説に、漱石は、近代西洋に愛という概念を定着させようとしているというのが、あった。
この作品には、2組の恋がある。
愛憎という言葉があるが、恋というのは、末恐ろしい。
カランコロン、カランコロン。
幼少の頃、読んだか、観たかした本、若しくは、映画、TV、マンガに登場した幽霊。
幽霊の恐ろしさは、やはり、恨めしやではなく、こういう感じだ。
ここにも、『耳無し芳一』的な怖さがある。

なるほど、後々には、それほど、伝わっていないが、こういう仇討ちを取らせる武士がいたか!
ぞくぞくする。
そして、ラスト近くの溝口健二監督の『山椒大夫』を想起させる母子の出会い。
義理立て。
怒涛の結末。
日本近世文学、おそるべし。

『皿屋敷』





僕が知っているお菊さんの怪談とは違っていて、話があちこち飛び、面白味に欠ける。
それほどの恐怖も感じなかった。

『乳房榎』

怪談というより仇討ち物。
怨念を感じるというより、筋は単純。

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